羅漢さんに会った。

            

五百羅漢さんに会いに行った。
前から気になっていた霊場の看板を見て山中にはいってみた。


泣き出しそうな曇り空のもと、山寺はひっそり・・・あった。
誰もいない小さなお堂をこわごわ開けてみると、羅漢さんが一斉に私を見た。
おっと
ちょっと、怖い。
小さなお堂を埋め尽くした、羅漢さんが一斉に私を見ている。
なんか、ごめんなさい
とかつぶやいた。


羅漢様 とは
お釈迦様のお弟子さんたちで仏さまに近いほど修業の足りた僧たちのことだというそう・・


五百ものその親しみやすい表情の中から、今は亡き身内縁者に似た羅漢様を見出し語り掛けることができるということです。


又会いに行ってみよう!


ショッピングセンターの駐車場で隣の車が揺れていた。
なになに・・・
その隣のスペースに入れようとした車が、バックでがんがんあたってた。
切り替えして、又あててる。
下りてきたのは、小柄の品のいいおばあちゃま。
”あらぁ”って
そのおばあちゃま、そのまま出ようとして今度は向かいの車にかすってる。
え~、わたしどうしよう・・・
っておもってたら、その向かいの車の方が通路をふさいで声かけていた。


確信犯だな。


困ったもんだ。


運転気をつけなくちゃ・・・

インプラントどうする?

        

神々しい夕日。
このすぐ横に伊弉諾と伊弉冉の神社がある。
近頃、話題のパワースポットらしい。
岩肌を歩くと、小さな洞窟が見える。
通り抜けると、生まれ変わることができる絶景が広がっていた。
夕日は金運を高めると、案内してくれた友人が言った。


先日帰省した際に義歯(小さな部分入れ歯)をなくした。
そんな人いる?
と友人。
ここにいるやんか・・・


私は実家が和菓子屋で、うちのなかはいつも餡を炊く甘い匂いが漂っていた。
一説にはその空気が歯を侵食するらしい。
父も母も全くお酒が飲めない体質で、砂糖漬けの人生だったと思う。
不思議と糖尿病にはならず、長命だったが歯は悪かったと思う。


インプラントかあ・・・
友人の中にも何人かしている人がいるけれど・・・
ちょっと怖い。


私、何年生きるのだろう。
毎日仕事で、新聞にお悔やみとかおめでた欄を書き込んでいるけれど
昨日107歳の方がおられた。
最後まで、しっかりしておられたのかな。
どんな人生だったんだろう。
私はどんな最後を迎えるんだろうな・・・


とはいえ、まだ66歳。
知力(?)も体力も子供たちに負けていない。つもり・・・だけど・・・


それと、半端なくお金がいるよ。


夕焼けが私の老後を支えてくれるといいなあ・・・

2024年新年

        

年末年始を息子たちと過ごし、岐路高速道路に上がろうとしたところで大きな揺れに・・・
又大災害が起きてしまった。
新年のあいさつもはばかられるような・・・
かけがえのない人を、家をなくされた方々の前に
何も言えない。
本当に生きるということは、つらい。
一番下の消防士の息子にも、現地派遣が決まった。


昨年目標の50冊を読み進めて
今年初めに出会ったのが、この本。
本当に重たい本だった。
過酷な残酷な人生の終焉を、認知症と共に生きることになった主人公が残した言葉。


”死して後、そうした壮大な空間に向かうことになろうなど、想像さえしないまま、
自分はこの世のささやかな1本道の途中にごくごく短い期間存在し、わずかな距離を黙々と歩き続けていたにすぎない。ちっぽけな虫のように。
だがこの先私の命が消滅しても、私の中の通り過ぎた想い想年のようなものは消えずに残される。それは夥しい数の死者たちの有象無象の思いのかけらと絡み合い、睦あい渦を巻きながら天に飛翔し、宇宙の寂寞とした闇の中を安らいだように漂ったあげく、やがて無数の、私同様、かつて生きた者たちが残した魂の、目に見えないほどの小さな金色の粉と溶け合うのだ。そしてそれはやがて、名もない星雲に姿を変え、淡い光を放ちながら永遠に残されるのだ”


この言葉が、静かに私の中に沈殿していく。


今年もよろしくお願いします。